父とのドライブの思い出の数々

父とのドライブの思い出ドライブといえば、私の父が初めて車の免許を取り、あっちこっち連れて行ってもらったことを思い出します。最初に父が購入してきた車は黒のファミリィ車でした。黒という色だったので、もしかしたらタクシーが何かだったのかもしれません。何だか暗い色とおもいましたが、何せ中古でお金もなかったので、おそらく安く購入したのでしょう。

ちょうど、私が中学生二年生位の頃でした。その頃は東京都武蔵野市に住んでいたので、深大寺植物園とか御岳山とか小河内ダムとかを走り回り、父の試乗運転によくつきあいました。もっとも、当時は車を持っている同級生も少なかったし、私もものめずらしさも手伝って、ドライブに付き合うことは嫌でもなく、けれど面倒くさそうな顔をして父の車試乗会に付き合ったものでした。

私も高校一年位の時、その車で父と二人で、富士山の富士スカイラインを走って八号目位まで行ったこともあります。夏山でした。五合目から先は、登山となりますから五合目まででした。富士山の夏の茶色の稜線を見た時は、何となく武蔵野台地のはるかかなたから見た富士とは違う違和感を感じたものです。富士山は小学生六年の時、冬の富士をゴンドラから見たことがあり、その時真向かいにあった真っ白な富士山のドラマティックな佇まいを知っていて、その姿が焼きついているので夏山の富士山が自分の知っている富士のイメージでなかったことに若干失望したのでした。

この日は、家族で行くことになっていたのですが、弟が突然熱を出したので、母は看病せざるを得ず、中止しようかと言っていたのですが、父が行きたがったので私が付き合ったのでした。ドライブが大好きな父の落胆が大きかったので、私が同行すしました。

その黒の車で夏休み、家族で箱根までドライブ旅行に出かけたこともありました。あいにく、芦ノ湖までの道のりには、霧が垂れ込めていて先が見えない悪天候でしたが中止する気がない父は、その悪天候のなかを走っていきました。あたり一面真っ白な世界で、雲海の上を走っているような幻想的風景でしたけれど、乗車している私達はひやひやもので、いつ道を車がはずすのか父の操作するハンドルばかり監視していたことを思い出します。

箱根の道は、山道ですから、クネクネと曲がっていて、実に危険一杯のドライブでした。母も弟も私も黙ったまま、芦ノ湖に着いた時には、みんなほっと胸をなでおろしたものです。けれど、逆な見方をすると、そんな幻想的風景は、滅多なことでは見られない貴重な体験だったのかもしれません。その時以降、今までそんな体験はしたことがないほどの怖いドライブでした。

高校三年になると、八王子に越してきて、父は淡いウグイス色の中古車に買い換えました。明るい色目の先の黒の車に比べると走行距離も短いお洒落な車でした。この車で夏休み、千葉の海まで家族でドライブ旅行に行きました。日原鍾乳洞にも足を延ばし、また、西武園の打ち上げ花火に連れて行ってもらったこともありました。あと、秋に日光へ紅葉を見に行ったこともありました。

そのあたりが家族で出かけたドライブの最後で、その後、大学に入った私は夏はクラブ活動の合宿やらで多忙で、秋には就職活動、冬はバイトと忙しい毎日を過ごすようになりました。帰宅時間も遅くなり、私の側にいるのは父でなくボーイフレンドや友人になりました。

八王子というロケーションかからよく中央道を使って、富士ドライブウェイへ向かってのデートコースも何回か行きました。しかし、そこで運転しているのは、当時交際していた人であり父ではありませんでした。中央道の夜景が美しく、それこそ夜空のなかを疾駆して行くというイメージが今でも残っています。

それからしばらくして、比較的早い結婚をしてしまいまして、夫となった人は車には乗りませんでしたので、それ以降はドライブとは余り縁がなくなりました。父が念願の新車セリカを購入した時は、私は結婚をして、実家を離れてしまっていたため、私は父のセリカで遠出のドライブをしたことはありません。